2010年8月30日月曜日

2010 8/29 第14回ROBO-ESC Mtg議事録

2010/8/29 第14回ROBO-ESC Mtgの議事録です。

進捗


Tリンクのアルミ材からの作り出し完了。サーボの動作角は見直す必要あり。
ソフトウェアの変更で可能。


脚フレーム完成。但しTリンクとの接続穴を開け間違えてるのでここは修正。




これで金属から切り出す部品は終了。
プラパイプで切り出す部品は1点あるけど、すぐに出来るでしょう。

次回は今度こそフレームを作っていきます。
部品切り出しは結構難航した感じです。

今回思ったのは、工作という行為はまだ一般に敷居が高いと感じました。
Tリンクのアルミ材、切り出すのに苦戦したのは経験不足も確かですが、
作るにも工作の知識経験というのはかなり必要なのだと思いました。

接着も2液混合エポキシパテは初めて使ったようで、
私にとっては馴染み深くても、皆さんには知られていないものでした。

工作に関しても何にしても、気軽にやるというのはなかなかできない、
敷居を下げるには、それなりの経験もしくは経験者のアドバイスというのは
必要だと感じました。
今後もし、Make:機運が高まるなら、ある程度の工作能力を持つアドバイザーというのは
必須になってくるのかもしれません。

次回はフレームを完成したらアップしたいですね。



p・s
1) バイクネタ
バイクの良さというのはこれも経験すれば分かると思うし、それでもNGということも
あると思います。
ただ例の5Lシボレーエンジンバイク、みんな、馬鹿だとかおかしいとかいいますが、
冷静に見てみると、そのバカバカしい発想をなんの疑問もなく作るアメリカ人の行動力は、
(実際は色々あると思うけど)
常識から出る事を躊躇う日本人的な私から見れば羨ましいことです。
そういった独創力がMake:のような土壌を作り、
今後の産業界に影響をあたえていくのではと思っています。
単純にバカバカしいからと否定するのではなく、一歩引いて客観的に
評価できる目が私には欲しいと思います。
それとバイクの魅力は形だけではなく、エンジンの特性、ステアリングの癖、
サスペンションの動き、タイヤグリップ、そういったものが直に伝わる乗り物です。
しかもサスペンション、車だと受動的に路面のギャップを拾って吸収するだけの役割ですが、
(実際はバイク同様姿勢を変えてグリップを強める役割も出せますが。)
バイクの場合は積極的にサスペンションの伸び縮みを利用してグリップを上げたり、
旋回力を強めたりします。
モトクロスなんかはジャンプの際にサスペンションの反動を使います。
実はこれが分かってくると、自分で操っている感じが強くなり、ますます楽しい乗り物になります。



2)人間とロボットの境界=人間とは何か
このMtg中にこんな話題が出たので、私見を述べるのもいいかなと。
Mtg中の意見で、仮に人間が手や足、臓器を徐々に人工器官に換えていった場合、
最終的に人間である細胞が1こまでなってしまっても人間か?はてまたロボットか?
というのがありました。
逆にロボットが人間の手足や臓器を得ていった場合、何処でロボットと区別をするか?

ということも逆説的に導き出される問題です。

その中で最初の問いがある程度機械化したらロボット、後者はロボットに変わりはない、
という返答を得ましたが、それにはいくつかの曖昧さが見受けられると思います。

ある程度、という時点で既に曖昧ですが、仮に義足をつけた人をロボットと呼ぶかというと
そうと言う人は少ないでしょう。
私がリスペクトしている小説 戦闘妖精雪風改にインディアンサマーという話があり、
その話の中で心臓がプルトニウム動力の男が出てきます。
彼は主人公と心を通わせ、任務中に命を落としますが、
その死の際「僕は人間だよな」と主人公に問います。
主人公は「あたりまえだ。」と応えます。

逆にロボットが人間の組織で出来た臓器に変わっていった場合、
今度は見かけ上完全に人間が出来上がります。
そうなるとどうやって初めから人間だった人と区別をするのでしょう。
法的にロボットだったのだからロボットなのだろう、という考えもあるでしょうが
では現在その法があるのでしょうか?
そして法というものは人間の主観的区別でしかなく、これも基準は曖昧になるでしょう。
更に言えばクローン人間、人工の生命、彼らも生きていることです。

人間とは何か、この問題は学問が発生した時からずっと追い求めているものの一つです。
分子生物学、化学、脳工学、アンドロイド学、更に哲学などもこの問題にアプローチされ
答えは出ていません。

私は人間の本質とは体には無く、もっと別の解があると思っています。

まず生物全般から考えますが、生物は細胞で構成されてるのがほとんどです。
細胞は物質(有機物)で構成されています。
それは高等な生物でも単細胞生物でも変わりなく、人間も例外ではありません。
そうなるとそこでは人間のボーダーラインが引けません。
また先にも書いたとおり細胞は有機物で出来ているので、
物質として比べると、無機物と区別は出来ません。
無機物の体、人工器官だってかまわないでしょう。
(飛躍ですが珪素主体の有機物があってもおかしくはないのです。)
例えばウイルスは他の細胞を使って自己複製、進化しますが、結晶化もするので
物質と生命の中間であるとも言えるでしょう。
極端、その辺の石ころだって物質という意味では私と差は無いでしょうね。
受精卵があること、という意見もありましたが、受精卵は結局細胞そのものであり、
isp細胞なんかもそうですが、=物質なのでそれもボーダーラインとしては使えないでしょう。


アンドロイド学では「私とは何か」というアプローチを続けています。
毎度おなじみリスペクトしている大阪大学の石黒教授ですが、
教授はロボットという鏡を用いて自分を知りたいそうです。
実は私がロボットにこだわる理由もそこにあります。

そこでの教授の現状の考えは、
「私というものは無く、他の人が私を感じるかどうかで決まる。」
ということです。
つまり対象が人間を感じればそれは人間であるということです。

こういう実験を行なったそうです。
小学生にロボットを与え、ロボットと一緒に演劇をさせた。観客はどう反応したか。
観客はロボットであることを忘れ、人間に感じていたと。
他にもこういった別の実験をされていますが、
いずれもロボットを人間と区別無く感じたそうです。

結局 、人間は他人がいないと人間を意識できない、
社会的な存在だということでしょう。
私もそう考えています。

そうなると自分は人間なのか?
その問いに答えるのは難しいことだと思います。
例えば何も無い暗い密閉空間に一人でほっとかれたら、
長い時間後にはその人は何もしないし考えないでしょう。
その時人間らしさが失われるのです。

現状分かっているのは、他人との相互作用で相手を人間と感じることはできる。
しかし自分を感じることは出来ないということです。

脳工学でも同様の結果が得られています。

私見で言わせて貰うと、人間と認識できるものは人間である、というのが
一番私的には納得できる答えではないかと考えています。
そしてこのMtgが進むことと、私のライフワークはそれを追求していくことになると思っています。

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