2009年6月30日火曜日

もう少し考えてみた(前コメントを先に読んでね)

前コメントよりもう少し考えてみました。

主人公 深井 零にとって戦闘知性戦闘機 雪風とのお互いを切り捨てられるほどの
厳しい信頼(愛らしい)を構築することは最大の生きる目標であると私は考えます。
またその為には必要に他人とも関わる必要があったとも考えます。
でもその根底にはそれらを含めた上で「だからどうした。俺には関係ない。」や
「そんなことはどうでもいい。」なのでしょう。
JAMの存在はただの生きるうえでの障害で、目標とは関係なく、
「そんなことはどうでもいい。」なのでしょう。

では私の場合どうなるのが理想なのか?
私自身を厳しく向けられる目標、それは自分に興味を持ち理解すること。
その事に真摯に向き合うのが、私の生きる為の姿勢ではないかと考えました。
その対象としてロボットへの探求、創造実現、それらが社会と共存して創る可能性
だと今では信じられます。
そして他人とは、彼らも生きていて私も生きていて、関係を構築することで
お互いに生きられるのだと思います。
そのうえでそれを含めて私も「だからどうした。俺には関係ない。」や
「そんなことはどうでもいい。」が理想なのでしょう。
だって、例えば他人の普段の生活まで(夕飯のメニューとか)関係ないのですから。
でも必要な時、それはお互いがお互いを助け合う時等、関係が大事になると感じました。

そういう風に生きていくのが自分の理想だと今は信じています。

2009年6月29日月曜日

偶には自分のことを少し書いてみましょう

今更ながらですが、すこし自分のことも書いてみたくなりました。
特に影響を受けている&リスペクト(尊敬)している人物についてです。


私は歴史や歴史小説、文学小説、政治経済といったものにはからっきしで、
流行のドラマも見たりしない、いわゆるある意味欠落した部分がある人間だと
認識しています。
ただそれを卑下したり、劣っていることとは感じたりはしていません。


ちょうどそんな私が、SF小説の主人公ですがリスペクトしている人物がいます。
それは神林長平氏著の戦闘妖精 雪風(改)&グッドラック 戦闘妖精 雪風の主人公
深井 零と言う人物です。


この小説は、ある日地球外知的機械群[JAM]に地球は襲撃され、
辛くも国連が彼らJAMがやってきた南極にある超空間通路の向こう、フェアリーと呼ばれる
惑星に追い返し、30年ほど経過したところから始まります。
その惑星フェアリーでは、国連の独立軍隊[FAF フェアリーエアフォース]が日々JAMと終わりなき
戦いをしていて、その組織の一つ特殊戦第五飛行隊に主人公 深井 零が所属しています。
彼の任務は、例え友軍が壊滅しようとも手助けせずその情報を持って帰り、必ず生還すること。
とても非情な任務です。周りからは彼ら特殊戦を死神呼ばわりもします。


しかし彼、零はその任務にうってつけのような人物です。周りとの関わりは必要以上に持たず、
話をしても、まるでコンピュータと話しているようでイライラする。
人間なのにどこか人間らしさが欠落している、しかしそれを気にもしない。そんな人物です。
そして彼の最大の関心事は、任務の相棒である戦闘知性戦闘機 雪風との関係のみです。
当初彼は機械である雪風のことを、裏切らない知性ある相棒と感じ信頼していました。
そしてそれと関係を構築する為に理解しようと必死になります。


実は私が彼をリスペクトしている、もしくは羨ましいと感じる部分は二つあります。
一つは、彼が必要以上に他人とは関わらず雪風との関係だけに専念していることです。
周囲に対しての口癖は「だからどうした、俺には関係ない。」「そんなことはどうでもいい。」
普通に聞けば無責任な言葉です。
ですがよく考えてみると、これはある意味自分に忠実で良い意味で我侭であり、他人は
その人の好きにすればいいと意味を捉えられます。


私はこの小説を読んで衝撃を受け、自分もこうなりたい、こうあるべきだと感じました。
この小説を読むまでの私は、言われるがままに動いて意志よりも責任だけを
言い訳にして生きていたと思います。
この零の「だからどうした、俺には関係ない。」の根底にある意味、
つまり自分は自分のしたいことに興味を持ち、他人はその人の好きにすればいい、
を考えた時、自分もこうせずにはいられませんでした。(但し自分の行動に責任は持ちますが。)
そして今、私は自分の意志を模索しています。
自分の意志は何か?自分は何とどういった関係を構築し、どう生きたいのか。


そしてもう一つのリスペクトしているのは、その戦闘知性体 雪風との関係を構築するには、
同様に他人とも関係を構築しなければならないと気づいたところです。
作中で彼は雪風とともに撃墜され、共に死ぬことを考えました。
しかし雪風は、たまたま通りがかった新型の機体に自分のデータを移し、新たに雪風と名乗った、
つまり生きることを選んだのです。
そして壊れた機体から零を強制排除させ、Good luckとディスプレイに表示します。
この行為を当初、零は雪風に共に死ぬことに対し裏切られたと感じ廃人同然になりますが、
あるきっかけで意識を取り戻し、実はこの戦闘知性体は生存することでJAMに立ち向かい
勝つことと彼は理解します。
そして、彼はその雪風をただの信頼できる相棒ではなく、生存する為なら信頼している自分すらも
切り捨てるタフな知性体なのだと気づきます。
そして今までの意識とは違った形で、雪風に対し信頼を構築しようとしていきます。
その最中で零は今までの根底にある、自分は自分のしたいことに興味を持ち、
他人はその人の好きにすればいいという考えを、他人とも関係を構築しなければ
実現できないことに無意識に気づき変化していきます。


一番リスペクトしているのはこの部分、つまり必要になればお互いを切り捨てる決心をする
ギリギリの信頼を築く為には、他人ともギリギリまで信頼し関係を構築していかなければ
ならないと気づいた部分です。
この部分が非常に羨ましく感じます。


私は父と母を亡くしましたが、この二人、特に父にはギリギリの自分をぶつけてきて
私は生きてきたと思っています。(この小説は確か母が亡くなった後で読んだので。)
母に対しても自分をぶつけてきたはずです。


しかし彼らを亡くした今、こういった形のギリギリの自分をぶつけられる対象も方法も分かりません。
(兄Ouch!はまた関係の形が違います。彼は目標であり、尊敬の対象です。)


生きる為にギリギリをぶつけられる対象、それが嫁さんなのか家族なのか
それとも人間でない何かなのか、そんなことはどうでもいいのですが、そんな信頼が築ける
対象または方法がわかれば自分ももっと変われるのではないか、そんな風に考えてしまいます。
願う欲はそれが見つかればです。


でも人は一人では生きられない、他人をギリギリまで信頼する事が出来るからこそ
自分は生きている。
今ではそう考えています。

なんだか我侭尽くしの私ですが、そこに甘えずギリギリまで人を信頼できる、
そんな自分になれればと思っています。

ROBO-ESC Mtg 2009/6/28

参加されたROBO-ESC Mtgメンバーの皆さん、お疲れ様でした。

昨日は準受動歩行機用制御回路作成の続きでしたが、ちゃんと動いてうれしかったです。
作成したO氏お疲れ様でした。

この人がつくりました。
(顔は保護の為、伏せてあります(笑)。)
出来を見てみると基本的には私の作ったモノの見様見真似でしたが、彼自身の工夫もされており
非常にいいなと思いました。
O氏は謙遜していましたが、実はその見様見真似と言うのは日本の伝統には
非常に重要で、技術においても例外ではありません。
ものを見て真似をすることで技術を身につけ、また悪いところを見つければ自分で工夫する。
そういったことの積み重ねが、自分のスキルを上げる地道な努力の結果なのです。
今回、彼らに基板作成をしてもらっているのは良かったと思っています。
次回はO氏以外のI氏やT氏にもよければ、脚裏のSW基板とケーブルを製作してください。
K氏もプログラミングの続き、がんばりましょう。
これで皆がやって動けば、成功した時の感動を分かってもらえるんじゃないかな?
p・s
とうとう前回いなかったI氏にまで、東西南北の四聖獣萠フィギュアを
私の萠邪気封印用に認定されてされてしまいましたorz。
私は萠邪鬼ではないですよ~TュT。
その後は時間もないくせにTTRPGを私の権限で強引に決行(笑)。
すいません、偶にはやりたかったんです。(結構、間も空きましたし。)
今回のシナリオで、面倒が掛かるNPC扱い娘の正体が
なんとなく解ってきたんじゃないでしょうか。
とはいえほとんどの人がルールブックを持っていないから、
その設定のヤバさには気づいてもらえないかもしれませんTュT。
(分かるのはルールブックを読んでいるI氏だけかも…。)
次回のシナリオで1stシーズン終了です。ちゃんと娘の正体も明かしますよ。
派手にいきたいですね。
2ndシーズンは…まだ未定ですが、オネイサマがだいぶ関わってくる方向になるでしょう。
PC皆が持っている設定も活かしたいです。
それでは。

2009年6月19日金曜日

今月は悲しいニュースから

6月の久々の更新です。
まぁちょっと色々とありまして…。
グループSNEに試しにTTRPGの草案を投稿してみようと準備してたり…。

一部の方には周知ですが、 色々の一つでこのブログやTwitterのアイコンになっている
うちの愛猫、 カーサといいますが、6/18 11:05頃息を引き取りました。
享年おそらく17~19歳(人間換算だと100歳くらいです。)、
老衰による腎不全の為で、眠るような大往生でした。

この猫は本当に面白い猫でした。
猫としてはやる事がトホホな面が多かったです。
例えば三本足の丸いすに飛び乗ろうとしてズッコケたり、
テーブルの上に新聞紙が敷いてあって辺が解らなかったのですが、
そこに脚を乗せてずり落ちたり、
極めつけは家にネズミが迷い込んでみんなで追い詰めてカーサに仕留めて貰おうと思ったら、
ネズミを見た瞬間に180°回転して猛ダッシュで逃げてくれたりと…。
笑えるネタは沢山提供してくれました。

その反面、人間社会?の機微には非常に鋭い猫でした。
亡き父が元気だった頃、彼が味噌汁を料理していてちょっと席を外してるときに煮焦がしてしまい、
それをニャーニャー鳴いて私に知らせたり、
父が病院から退院した直後、私が家から帰ろうとしたら邪魔をして、何かと思ったら
父が胃潰瘍の為トイレで血を吐いているのを知らせたりしました。

今回息を引き取る際に私はトイレに行ってしまいその瞬間を立ち会えなかったのですが、
それもいま思うと猫は死に際を見せないという習慣だったのかもしれません。

父母と亡くし、心を痛め、私は強い鬱になり休職をしていましたが、
今回は何故か悲しいけどほっとして送る事が出来ました。
それはもしかしたら私の心にある深い傷を、カーサが癒して天国へ持って行ってくれたからかも
しれません、と言ったら言いすぎかな(笑)。

父も母もうるさいと言いながらもカーサのことを可愛がっていました。
うちの家族の潤滑剤であったのでしょうね。

カーサ、本当に家族でいてくれてありがとう。
ずっと大好きです。