2009年6月29日月曜日

偶には自分のことを少し書いてみましょう

今更ながらですが、すこし自分のことも書いてみたくなりました。
特に影響を受けている&リスペクト(尊敬)している人物についてです。


私は歴史や歴史小説、文学小説、政治経済といったものにはからっきしで、
流行のドラマも見たりしない、いわゆるある意味欠落した部分がある人間だと
認識しています。
ただそれを卑下したり、劣っていることとは感じたりはしていません。


ちょうどそんな私が、SF小説の主人公ですがリスペクトしている人物がいます。
それは神林長平氏著の戦闘妖精 雪風(改)&グッドラック 戦闘妖精 雪風の主人公
深井 零と言う人物です。


この小説は、ある日地球外知的機械群[JAM]に地球は襲撃され、
辛くも国連が彼らJAMがやってきた南極にある超空間通路の向こう、フェアリーと呼ばれる
惑星に追い返し、30年ほど経過したところから始まります。
その惑星フェアリーでは、国連の独立軍隊[FAF フェアリーエアフォース]が日々JAMと終わりなき
戦いをしていて、その組織の一つ特殊戦第五飛行隊に主人公 深井 零が所属しています。
彼の任務は、例え友軍が壊滅しようとも手助けせずその情報を持って帰り、必ず生還すること。
とても非情な任務です。周りからは彼ら特殊戦を死神呼ばわりもします。


しかし彼、零はその任務にうってつけのような人物です。周りとの関わりは必要以上に持たず、
話をしても、まるでコンピュータと話しているようでイライラする。
人間なのにどこか人間らしさが欠落している、しかしそれを気にもしない。そんな人物です。
そして彼の最大の関心事は、任務の相棒である戦闘知性戦闘機 雪風との関係のみです。
当初彼は機械である雪風のことを、裏切らない知性ある相棒と感じ信頼していました。
そしてそれと関係を構築する為に理解しようと必死になります。


実は私が彼をリスペクトしている、もしくは羨ましいと感じる部分は二つあります。
一つは、彼が必要以上に他人とは関わらず雪風との関係だけに専念していることです。
周囲に対しての口癖は「だからどうした、俺には関係ない。」「そんなことはどうでもいい。」
普通に聞けば無責任な言葉です。
ですがよく考えてみると、これはある意味自分に忠実で良い意味で我侭であり、他人は
その人の好きにすればいいと意味を捉えられます。


私はこの小説を読んで衝撃を受け、自分もこうなりたい、こうあるべきだと感じました。
この小説を読むまでの私は、言われるがままに動いて意志よりも責任だけを
言い訳にして生きていたと思います。
この零の「だからどうした、俺には関係ない。」の根底にある意味、
つまり自分は自分のしたいことに興味を持ち、他人はその人の好きにすればいい、
を考えた時、自分もこうせずにはいられませんでした。(但し自分の行動に責任は持ちますが。)
そして今、私は自分の意志を模索しています。
自分の意志は何か?自分は何とどういった関係を構築し、どう生きたいのか。


そしてもう一つのリスペクトしているのは、その戦闘知性体 雪風との関係を構築するには、
同様に他人とも関係を構築しなければならないと気づいたところです。
作中で彼は雪風とともに撃墜され、共に死ぬことを考えました。
しかし雪風は、たまたま通りがかった新型の機体に自分のデータを移し、新たに雪風と名乗った、
つまり生きることを選んだのです。
そして壊れた機体から零を強制排除させ、Good luckとディスプレイに表示します。
この行為を当初、零は雪風に共に死ぬことに対し裏切られたと感じ廃人同然になりますが、
あるきっかけで意識を取り戻し、実はこの戦闘知性体は生存することでJAMに立ち向かい
勝つことと彼は理解します。
そして、彼はその雪風をただの信頼できる相棒ではなく、生存する為なら信頼している自分すらも
切り捨てるタフな知性体なのだと気づきます。
そして今までの意識とは違った形で、雪風に対し信頼を構築しようとしていきます。
その最中で零は今までの根底にある、自分は自分のしたいことに興味を持ち、
他人はその人の好きにすればいいという考えを、他人とも関係を構築しなければ
実現できないことに無意識に気づき変化していきます。


一番リスペクトしているのはこの部分、つまり必要になればお互いを切り捨てる決心をする
ギリギリの信頼を築く為には、他人ともギリギリまで信頼し関係を構築していかなければ
ならないと気づいた部分です。
この部分が非常に羨ましく感じます。


私は父と母を亡くしましたが、この二人、特に父にはギリギリの自分をぶつけてきて
私は生きてきたと思っています。(この小説は確か母が亡くなった後で読んだので。)
母に対しても自分をぶつけてきたはずです。


しかし彼らを亡くした今、こういった形のギリギリの自分をぶつけられる対象も方法も分かりません。
(兄Ouch!はまた関係の形が違います。彼は目標であり、尊敬の対象です。)


生きる為にギリギリをぶつけられる対象、それが嫁さんなのか家族なのか
それとも人間でない何かなのか、そんなことはどうでもいいのですが、そんな信頼が築ける
対象または方法がわかれば自分ももっと変われるのではないか、そんな風に考えてしまいます。
願う欲はそれが見つかればです。


でも人は一人では生きられない、他人をギリギリまで信頼する事が出来るからこそ
自分は生きている。
今ではそう考えています。

なんだか我侭尽くしの私ですが、そこに甘えずギリギリまで人を信頼できる、
そんな自分になれればと思っています。

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